Dust In The Wind


(Livgren)

過ぎ去り行く このひと時に祈ろう
夢はみな その気にさせては消えた
全ては 風に舞う塵のように

この歌は 海に落ちるひと雫
尽くしても 虚しく徒労と終わる(注1)
全ては 風に舞う塵のように

もう抗わず 
永久(とわ)なるものなどあらず
失ったものは呼べども戻らず(注2)
全ては 風に舞う塵のように
風に舞う塵のように・・・
解説と注釈
 祇園精舎の鐘の聲 諸行無常の響きあり
 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理(ことわり)を顕(あらわ)す
 奢れる人も久しからず ただ春の夜の夢の如し
 猛き者も遂には亡びぬ ひとえに風の前の塵に同じ

平家物語の有名な冒頭の一節である。非常に東洋的な「無常」を感じさせてくれる。私はカンサスの「The Dust In The Wind」を聴くと、この平家物語を連想せずにはいられない。

考えれば、プログレの歌詞には、このような東洋的「無常」感をテーマにした曲が多いように思う。例えば、フロイドの「Us And Them」にしても、その一節「Up and down. And in the end, it's only round and round」は、本当を言えば「盛者必衰 諸行無常」とでも訳したいほどだった。

もっとも、「物事というのは変転していく」というテーマの歌詞は、別にプログレだけに限ったことではない。
例えばディランの「時代は変わる(The Times They Are A-Changin')」では、まさに平家物語の冒頭と呼応するかのような歌詞が出てくる。

 「今の敗者は次の勝者だ」
 「ルーレットは回り続ける」
 「今のトップも そのうちビリになる」
 「時代というものは、変わっていくものだから」

しかし、「時代は変わる」でテーマになっているのは、社会の変革であって、「世の中変わらなくちゃならない」「変えてやる」「こんなに変わりつつあるのに、まだわからんのか?」という、積極的な主張の表明であり、また、社会の変転を必然として受け止め、変転する時代を、現状より良い時代にしようとする意志が感じられる。従って、東洋的な「無常」感というより、マルクス主義的唯物史観に、むしろ近い。

プログレの歌詞に常に感じるのは、「諦観」である。
「諸行無常」、つまり、あらゆる物事は変転し移り変わっていく、ということである。しかし、「無常」感の本質は、物事が移り変わっていくことにあるのではなく、それでもなおかつ、移り変わる物事に抗って生きようとする人間の性(さが)自体にある。「平家物語」が、冒頭の一節の後に、延々と中国の王朝の興亡などについて述べるのは、変転に抗って生きる人間のはかなさを描こうとしているからに他ならない。そういう意味では、人類とは「学習機能」のない動物なのかもしれない。
そして、その思いは、この歌詞の3番にも、如実に反映されていると思う。

注1:「Same old song, ... just a drop of water in an endless sea. All we do ... crumbles to the ground .. though we refuse to see」「相変わらずの歌・・・それは果てしなき海へ落ちていくひと雫のよう。私が行う全てのことは・・・地上に落ちて砕ける・・・見ることを拒否しようとも(嫌がうえでも見えてしまう)」。
見るまい、と抗いつつも見えてしまう、つまり本人が痛いほどわかってしまう、この現実の厳しさ。
「海に落ちる一雫」それは、歌でもあり、人生そのものでもある。はかなさ。この考えを、もっと「攻撃的」にさせれば、フロイドの「Time」の主張になるのだろうか。

注2:「Now don't hang on, -- nothing lasts forever except the earth and sky. It slips away, ... and all your money won't another minute buy.」「さあ、もう肩の力を抜いて、大地と空を除いて、永遠に残るものなんてないんだから。みんなこぼれおちていく。君の全財産をはたいても、時は買えない」
「金で時は買えない」---いささか陳腐であはるが、人間にとって永遠のテーマ。それでも抗ってしまう人の性が痛々しい。そしてこのテーマを、やはり攻撃的かつアイロニカルに昇華していくと、フロイドの「Time」と「Money」に通じる。